朽ちるからこそ美しい、軍艦島で往時のにぎわいを知る旅

朽ちるからこそ美しい、軍艦島で往時のにぎわいを知る旅

「祇園精舎の鐘の声……」で始まる有名すぎる冒頭部分。あらゆるものは常に移り変わって変化していくと唄われたように、今日もさまざまなモノやコトや言葉が生まれては消えていく。
「日本人は朽ち果てていくものに美意識を感じる」という意見がある。近年起きた廃墟ブームの根底にあったのは、無常を愛でる日本人の感性ではないだろうか。
なぜ朽ちていくものに惹かれるのか? その答えを求めて、長崎の軍艦島に向かった。

台風、豪雨、から晴れ間がのぞく

長崎を訪れたのは8月の下旬。季節は秋に変わりつつあり、台風が頻繁に訪れていた。滞在期間には台風11号が中国大陸へ進行し、ツアー当日の降水確率は50%。調べてみると、大時化や悪天候の際は軍艦島に上陸できないこともあるようで、年間で上陸できるのは100日程度らしい。台風のこともあり「上陸は難しいかな」と考えていた。

ツアー初日、カプセルホテルに泊まっていた僕は朝5時に目が覚める。外はどうだろう? と様子をうかがうと、雨どいに激しく雨がぶつかる音がした。土砂降りだ。眠い目をこすり、窓の外を見てみると、外は視界が霞むほどの大雨。落胆しながらホテルのロビーで仕事を進める。

朝9時半、そろそろツアーの集合時間だ。外に出てみると、あれだけ降っていた雨が嘘のように止んでいた。それどころか、うっすらと陽の光も見えている。軍艦島周辺の波の具合はわからないが、ひょっとしたら上陸できるかもしれない。気持ちが一気に高ぶった。

行きの航路、長崎に残る産業遺産から100年の明暗を知る

軍艦島に向かうクルーズ船は定員200名。港から軍艦島まで約40分は、船上ガイドが長崎に残る産業革命遺産についてレクチャーしてくれた。

軍艦島は幕末から明治時代に起きた製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業など「産業遺産群」の一部として世界遺産に登録されている。遺産群は山口県や九州を中心に点在し、有名なものでは北九州市の「官営八幡製鐡所」や、山口県萩市の「萩反射炉」が登録された。

このうち長崎市には、軍艦島や三菱長崎造船所の設備が登録されているという。クルーズ中はこれらの登録遺産のうち、三菱長崎造船所の設備を見ることができた。

最初に見えてくるのは「ジャイアント・カンチレバークレーン」。1909年にスコットランドから輸入された造船用の巨大クレーンで、高さは約62m、アーム部分の長さは約75mと並大抵のビルより大きい。同型のクレーンとしては世界最古で、驚くべきことにいまだ現役で造船作業に使われているそうだ。そのほか、船上からは三菱造船所所有の「第三船渠(大型船舶用ドッグ)」や「旧木型場」などの世界遺産を眺めることができる。これらの遺産は、造設時から100年の間使用されているもので「稼働資産」と言われるそうだ。

かたや同時代に建造された軍艦島は、産業の流れから外れた「非稼動遺産」。くっきりと分かれた明暗の「明」の部分を垣間見た気がする。

海から見る軍艦島、とてもシュールな海に浮かぶ廃墟

内海を抜け船は外洋に進む。朝は晴れていた空も一面鉛色になってしまった。波はやや高く、激しい飛沫が船の側面に当たっていく。

出航から30分ほど経っただろうか。水平線に小さく島影が見えてきた。一般的な島影は木々や岩肌で縁取られた有機的な姿をしている。しかし、遠くに見えるシルエットは直線で縁取られ、妙に人工的だ。

船が徐々に島に近づくと、密集する高層ビルが見えてきた。軍艦島だ。

正式名称は「端島炭鉱」と呼ばれ、1810年に石炭が発見されてから、細々と採炭が行われていた軍艦島。ターニングポイントとなるのは1890年。三菱が島を買収してから本格的な炭鉱施設が建設され、炭鉱労働者の居住施設が作られていった。

この島に住んだのは炭鉱労働者とその家族だけではない。労働者の生活を支える商人・医者・僧侶・警官・美容師はもちろん、娯楽を提供する映写技師や芸妓も街に住み、6万3000平米の島に最盛期に5000人超が身をよせ合っていた。これは当時の東京の9倍の人口密度だという。限られた土地を最大限に利用するため建物は縦に伸びていき、大正5年には日本最初の高層鉄筋コンクリート造アパートが建てられている。

船は島の周囲をぐるりと周る。見えてくるのは島の縁ギリギリまで建てられたコンクリートの壁の列。リズミカルに開く窓は街で見かける団地のそれと同じだけれど、ここは洋上だ。ちょっと非現実ではないか。西側から見る姿は軍艦そのもの。とても島とは思えず、海に浮かんでいるようにしか見えない。

シュールな光景に呆気にとられていると、「上陸可能」と船内アナウンスが入った。東京を出発して約1日、いよいよ上陸の時だ。

軍艦島上陸、本当にここに人がいたのだろうか? 45年の分断に困惑

空は見渡す限り雲に覆われているけれど、幸い雨は降っていない。聞くところによると、軍艦島は安全確保のために雨天でも傘をさすことが認められていないそうだ。撮影のためにカメラカバーも用意してきたが、必要なさそうだと一安心。係留施設に横付けされた船から桟橋を渡り、軍艦島へ第一歩を踏み出した。

見えたものは全て廃墟。瓦礫や錆びた鉄骨、崩れたブロック塀、何に使われていたか想像しづらいコンクリートの建造物、その合間に雑草が生えている。

それはテーマパークや映画の中で見る「再現された」遺構のようだった。最盛期には5000名超が生活していた、まぎれもなく本物の廃墟なのだけれど。

島内は柵で覆われた見学路を歩き、計3箇所の見学場所ではガイドの方が写真を見せながら往時の軍艦島を紹介してくれる。

炭鉱労働者の身入りがよく、白黒テレビ・電気冷蔵庫・電気洗濯機の普及率がほぼ100%だったこと(昭和33年、当時の日本では普及率は良くて20%だった)。当時は24時間炭鉱が稼働しており、真夜中でも島の灯りが消えることはなかったこと。映画館や酒場、パチンコ屋など娯楽も充実していたこと。採掘量の低下や、国のエネルギー政策の転換のあおりを受けて1974年に閉山し、島民が一斉退去したこと。どれも当時の様子を想像させるに十分な話だったが、目の前の風景とかけ離れすぎていていまいち実感が持てない。本当にここに人がいたのだろうか。

島内に居られる時間は少ない。見学場所をひと通り巡ると、一行はそそくさと船に戻る。狐につままれたような、不思議な30分間だった。

ミュージアムで往時の色が蘇る、朽ちては生まれる循環に力強さと儚さを感じた

再び40分の船旅の後、出航した港に着いた。近くには軍艦島の歴史や生活を紹介する「軍艦島デジタルミュージアム」があるという。先ほど見てきた軍艦島についてより詳しく知りたいと考え、足を運んでみる。結果的に、これが正解だった。人でにぎわい、活気にあふれていた軍艦島を鮮明に体験することができたから。

ミュージアムには、人々が生活していた当時をできるだけ直感的に理解できるよう、さまざまな展示物が置かれている。島民が映った写真がプロジェクションマッピングで映し出され、当時撮影された運動会や買い物の映像が投影されていた。廃墟になった軍艦島を歩いて撮影したVR映像や、地下1000mに広がる地下坑道のCG映像、当時の労働者が暮らしていた部屋を原寸で再現したものも見ることができる。

いずれも往時の軍艦島の姿や、そこに暮らす人々の様子がよく分かるとても良い資料だった。特に印象に残ったのは、軍艦島で生まれ育ち、ミュージアムのナビゲーターを務める木下稔さんとの会話だ。

木下さんが島で暮らしたのは0歳から13歳まで。炭鉱が閉山される8年前に島を離れたが、暮らしていた当時は島もにぎやかだったという。

木下さんは現在の軍艦島を見て「まるで骨のようだ」と話す。生まれ故郷をそのように例えるのは、人がいなくなり当時の活気が失われてしまったと感じているからだろう。矢継ぎ早に「当時の島は狭いからこそ絆が強く、皆仲良く暮らしていた楽園のような場所だった」「土が露出している部分が少なく、植物が生えていないので、彩りを求めた人は建物を華やかな色のペンキで塗装していました。とてもカラフルな街並みだったんですよ」と話が続く。

木下さんはこのようなことも語っていた。「島出身者の同窓会は今でも行われていて、皆『また戻って暮らしたい』と話すんです。誰が誰の子かわからないくらいに島民みんなで子供の面倒を見ていましたし、どこに行っても人がいるから落ち込んでいても励まされちゃう。私は、心から自慢したい、誇らしい故郷だと思って当時の様子を伝えているんです」。

木下さんは嬉しそうな顔で昔話を続ける。遊ぶ場所が少なかったので屋上で野球をしたこと、島に3かしょしかない共同浴場に父親と入ったこと(炭鉱勤めだったので仕事帰りは顔が真っ黒、それを見た木下さんはビックリして泣いてしまったそう)、島にあるプールに飽きて友人と一緒に波が高い海に飛び込んだことなど、さまざまなエピソードを伝えてくれた。また、島には神社や寺もあり、祭りの時期には島内の狭い路地を神輿が行き来していたという。

そこには確かに人が暮らしていた。娯楽があり、仕事があり、祈りがあった。恋があり情があり、人が生まれ、亡くなっていった。あの島には確かに人が生きていこうとする強い意志があった。

私たちが見る現代の軍艦島は、その亡骸なのかもしれない。「家主を失った家はすぐに傷む」というけれど、役割を失ったモノは朽ちていく定めなのだろう。

人は朽ちたものを見たときに、頭の中で往時の華やかさを想像しているのかもしれない。冬場に桜の枯れ木を見て、満開の春を想像する。朽ちては生まれ、朽ちては生まれ、その循環に力強さとはかなさを感じる。だからこそ私たちは廃墟に惹かれてしまうのではないだろうか。

軍艦島は風化していく。この原稿を書いている間も、記事が公開されてからも刻一刻と朽ちていく。儚い、だからこそ往時を知り、節目節目にその姿を見に行ってみたい。

撮影協力:
・軍艦島コンシェルジュ⇨ https://www.gunkanjima-concierge.com/
・軍艦島デジタルミュージアム⇨ https://www.gunkanjima-museum.jp/

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