カンボジア北西部、広大な密林に点在するアンコール遺跡群は「訪れたい世界遺産」などのアンケートで必ず上位にランクインする世界遺産。中でも「アンコール・ワット」や「アンコール・トム」は、クメール王朝の絶大な国力と権力を実感できる寺院遺跡でしょう。

アンコール遺跡群とは、9世紀から約600年の繁栄を築いたクメール王朝の、26人の王が建立した夢の跡。特に、最盛期の王として君臨した「ジャヤヴァルマン7世」は、多くの寺院を建造したことから、別名「建寺王」とも呼ばれています。

建寺王・ジャヤヴァルマン7世って誰?

長きに渡って栄華を誇ったクメール王朝ですが、現在のベトナム中部で勢力を広げていたチャンパ王国との争いは常に悩みのタネでした。そのチャンパ王国を撃退し、王朝を確固たるものへと導いたのが、戦隊ヒーローのような名前の王ジャヤヴァルマン7世です。

建寺王・ジャヤヴァルマン7世って誰?

建寺王・ジャヤヴァルマン7世って誰?

建寺王・ジャヤヴァルマン7世って誰?

彼は、歴代の王が崇拝したヒンドゥー教とは異なり仏教を信仰していました。そしてアンコール・トム(バイヨン寺院)やタ・プロムなどの現在アンコール遺跡群にみられる仏教寺院を次々と建造しました。

また「自分の苦しみよりも、民の嘆きのために泣く」と碑文の残したほど、民を気遣った王とも言われ、街道沿いに100以上の施療院(病院)を作ったことはその現れだと言われています。そんなジャヤヴァルマン7世は、今もカンボジアで英雄として崇められています。「英雄」という意味では戦隊ヒーローと同じですね!

「すべての道はアンコールに通じる」王朝を支えた王の道

そんなジャヤヴァルマン7世のもと、王朝の最盛期を支えたのが、王道と呼ばれる道の配備です。

王朝を支えた王の道

一説には「すべての道はアンコールに通じる」と言われるほどに張り巡らされた道は、物資の輸送の円滑化を計り、また敵対する隣国との争い時には軍事道としてゾウ部隊を派遣できたともいわれています。

現在、王道の全ては解明されていませんが、西はタイ王国のスコータイ、東はベトナム中部のダナンまでを網羅していたのが確認されています。

辺境の地に眠る「バンテアイ・チュマール」

アンコール遺跡観光の拠点となるシェムリアップから王道を西へ約160km。タイとの国境付近にあるのが、ジャヤヴァルマン7世によって建立された「バンテアイ・チュマール」です。

辺境の地に眠る「バンテアイ・チュマール」

当時、勢力を増し始めたシャム国(現在のタイ王国)の侵入を防ぐ西の砦の役目を担ったともいわれていて、アンコール遺跡群の中でも重要な遺跡のひとつに数えられます。しかし、クメール王朝崩壊後の内戦によって、当時の姿を想像するには難しいほど荒れ果て、周囲はジャングルと化し、その上周辺には多くの地雷が残るなどで、訪れることができなかったことから幻と言われ続けてきました。

仁王立ちで民を守る千手観音像

多くのアンコール遺跡群同様に、外壁にレリーフが残るバンテアイ・チュマールですが、他の遺跡では見ることのない「千手観音像」のレリーフが描かれています。

仁王立ちで民を守る千手観音像

仁王立ちで民を守る千手観音像
仁王立ちで民を守る千手観音像

日本で見る静謐な立ち姿とは異なり、大地を踏みしめるようにすっくと立ち千の手を広げる姿に、民を漏れなく救う気合のようなものが伝わってきます。それは、観音菩薩とジャヤヴァルマン7世本人を重ね合わせているかのようにも見えます。

もともと8体あったとされるこのレリーフですが、盗掘などで現存するのは遺跡内の2体と、プノンペンの国立博物館に展示されている1体の合計3体だけ。それが幻の遺跡といわれる所以でもあります。

そんなバンテアイ・チュマールも道が舗装され、地雷も完全撤去され遺跡の修復作業も始まったため、一般観光客の来訪が可能となりました。シェムリアップから車で片道4時間近くかかりますので、日帰りツアーに参加するのが安心でもっとも楽に訪れる手段といえます。

アンコール遺跡群は現地の人々にとってみれば、過去の痕跡を残す「遺跡」ではなく、信仰の対象で「寺院」として参拝に訪れます。現代人の心の拠り所となって生き続けているのもアンコール遺跡群の魅力なのでしょう。

バンテアイ・チュマール
入場料:5ドル
※アンコール遺跡共通入場券は不可

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